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【書評】「社会人」というファシズムへのささやかな抵抗/「社会人大学人見知り学部卒業見込み(若林正恭)」

Hatena Feedly

学生時代から「社会人」ということばがどうも好きじゃない。というより、嫌いだと断言できた。

 

理系の学生、とりわけ国公立大学に籍を置いていると、だいたい修士課程(年齢でいうと24歳)まではなんの疑いもなく学生をやり、そのうちの9割くらいはごくごく「平凡な進路」として会社員になる。そしてこの「会社員」という肩書きが与えられた瞬間に学生たちはじぶんのことを「社会人」と呼んだり、あるいは世間からはじめて「社会人」と呼ばれ、突然「大人たる品格(?)」を求められたりするあの風潮が、ずっと気持ち悪いとおもっていた。

 

修士課程のあと、博士課程の3年間を経て会社員となったぼくは22歳でおなじ会社に入社した同期たちとともにまずは「ビジネスマナー研修」を受けたのだけれど、そこで繰り返し

「社会人たる心得」をバチバチに説かれた。そしてその研修の講師は業務遂行の上での気配りでありコミュニケーション能力を「人間力」とし、そしてこの「人間力」こそが「社会人たる品格」なのだといった。

が、そういうものははっきりいって「社会人」というよりもやはり「会社員」ということばの方がぼくにはしっくりくる。

 

学生であれフリーターであれ、もしかしたら引きこもりでさえも、厳密な意味において「社会参画していない」という状態はけっこうむずかしい。そして他者とのコミュニケーション能力が大なり小なり劣っているという欠点を、「人間力の欠如」だとか「非社会人」だとか、そういう平均化された個性を基準とした仕分けをすることには暴力的なものを感じてしまう。

 

……などという以上の主張を自意識として垂れ流すことは一般に「中二病」などと揶揄される。

「じぶんが他者とは違う特別な存在だ」という意識は、ぶっちゃけこの世に生まれ、そしてけっして少なくはない様々な感情を持ってしまったならば完全に捨てきってしまうことは難しい。

けれども、こういう自意識を大事にしすぎることによって他者、そして「社会」というものからどんどん遠ざかってしまい、それでほんとうに「非社会人」になってしまうということはぶっちゃけわからなくもない。

 

人気お笑い芸人オードリーの若林正恭によるエッセイ集「社会人大学人見知り学部卒業見込み」はそういった自意識と社会のあいだを揺らぐ心象を非常に具体的に、ユーモラスに描いていて、とても良い本だった。

以下ではその感想を書き連ねてみたいとおもう。

 

目次

 

 

ある日突然「社会人」になった若林

このエッセイのはじまりはオードリーがM–1グランプリで準優勝し、それがきっかけで仕事が激増したというエピソードからはじまる。

これをきっかけに若林は「じぶんが社会人になった」という自覚を持つようになるのだけれど、こう考えるプロセスが一般的な「社会人観」とはちがい、上述のような「パッケージ化された社会人観」を見事に解体していた。

 

若林自身、M–1グランプリ以前はほとんど仕事らしい仕事がなく、いわゆる「社会」とのつながりが希薄な生活を送っていて、お笑い芸人として、あるいは「表現者」としての自意識で価値観がつくりあげられていた。

しかし、多くのテレビ番組の出演をとおして、じぶんのそういった価値観と番組制作者や視聴者のニーズの乖離に頻繁に悩むことになる。

 

美味いかどうかもわからないものを美味いといい、大豪邸にある高価な壺をさして興味もないのに褒めちぎることを求められ、会議で反論ひとつあげる際もことばをオブラートに包みなさいと指摘を受けたり、笑いたくもないのに笑わなければならない局面に出会うたびに、若林は過去のじぶんのありかたをきちんと振り返る。

 

「悩みの沼」に沈まないために 

しかしこのような社会から「大人であれ」という要求は、ともすれば「じぶんという存在」の全否定とも聞こえてしまうわけで、若林が特に悩んだのは「悩みの沼」に沈み込んでしまうことだと書いている。

そして「いまのじぶんがどれだけ正しいのか」、「ほんとうのじぶんとはなにか」といったことを考え過ぎてもきっと答えはでないと考え、そういった「悩みの沼」にずっぷり沈んでしまわないようにじぶんをコントロールする術を身につけ、じぶんを見失わないように社会に適合していく。

 

これはある意味で「じぶんというものは簡単には変わらない」という諦めから生じたポジティブな結論で、生きづらさを受け入れつつその先をふかく見つめるための適切な準備のようにおもった。

たとえば会社に入って間もない新卒などがよく抱く、

「じぶんはこのままでほんとうにいいのだろうか」

「この仕事は向いているのか」

「この仕事は好きなのか」

という悩みとの付き合い方のひとつの答えかもしれない。

ぶっちゃけ、経験したことのないことについて想像することはむずかしい。そのむずかしいことをあえてやる価値なんてあるのだろうか、とぼく自身もよく考えた。

もちろんそういうことを塾考することは無駄ではないのだけれど、いったん保留にしてよりよく考えられる状態になるまでひとまず待ってみるということも大事なんじゃないか。

結論を急ぐばかりでは、浅い思考を人生のなかでなんども繰り返すだけに終始してしまうことだってある。

 

余裕が生まれて考えられること

ページが進むにつれて若林は「社会人歴」 を重ねていき、文章にも語られる内容にも余裕が見られるようになる。

エッセイ集の序盤は「じぶん自身のこと」が多かったのに対し、後半は「辞めていった芸人」のこと、「同じ業界を志す若者」のこと、「相方・春日」のことへと筆が進んでいく。

多くの人との関わりあいを通して、自我が削り取られるのではなく洗練されていったために得られた「ポジションの安定」によって、若林の思考は「他者・社会との関わりあい」へと伸びていることがとても興味深かった。

「こうであるべき」

「これが常識」

と言われ続けたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、時々失敗をしつつもその是非を保留しながら続けていったからこそ、「じぶんらしさ」を失うことなく広い視野を持てるようになったんじゃないかと思った。

 

芸人だけじゃなく、どんな仕事でもそうだと思うのだけれど、一番難しいのは「ずっと続けていくこと」なんじゃないだろうか。

若林が常に持ち続けていたのは、「辞めないためにはどうあればいい?」という疑問なんじゃないかと、ぼくはこの本を読み終わったときに考えた。

 

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